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東京地方裁判所八王子支部 昭和39年(むのイ)25号 決定

主文

本件刑の執行猶予の言渡取消請求はこれを棄却する。

理由

一、検察官の本件取消請求の趣旨は

被請求人藤井重春は

(一)  昭和三七年一一月二四日東京地方裁判所において、傷害、恐喝罪により懲役八月、二年間執行猶予の判決言渡を受け右判決は同三九年三月四日確定したのであるが、右判決確定時刑の執行を終つた日から五年を経過していない前刑即ち

(二)  同三八年二月二五日同裁判所において、恐喝罪により、懲役八月の実刑言渡を受け、同三九年二月一八日確定した。実刑前科が発覚したから、前記(一)の執行猶予の言渡取消請求をする。

というにある。

二、そこで、本件記録を審査するに、被請求人は前記(一)の傷害恐喝被告事件につき、同三七年一一月二四日東京地方裁判所で懲役八月、二年間刑の執行猶予の言渡を受け、被請求人および検察官の控訴により同三九年二月一八日東京高等裁判所で控訴棄却の判決言渡を受け、右判決は同年三月四日確定した。一方被請求人は前記(二)の恐喝被告事件につき、前記(一)の事件に対する一審判決言渡後同三八年二月二五日東京地方裁判所で懲役八月の実刑の言渡を受け、弁護人の控訴により、同年八月五日東京高等裁判所で控訴棄却の判決言渡を受け、更に弁護人の上告により同三九年二月一二日最高裁判所で上告棄却の決定を受け、この決定は同月一四日告知されて同月一八日確定した。これにより確定した右(二)の実刑判決の執行のため、最高検察庁検察官より東京高等検察庁検察官に対し、右刑の執行指揮の嘱託がなされ同高等検察庁検察官は、前記(一)の猶予の言渡確定前である同月二二日これを受理して了知したことが認められる。(右事実関係を図示すると左のとおり≪省略≫)

三、しかして、検察官の本件取消請求は刑法二六条三号に該当するものとしてなされたものと解すべく、同条各号はいずれも猶予言渡の必要的取消の法定条件を定めた実体法でもあり、その所定の要件に合致すればその猶予の言渡を取消すべきものとされているところ、同条三号は「……猶予ノ言渡前他ノ罪ニ付キ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト発覚シタルトキ」と規定しているが、「猶予ノ言渡前」とは猶予の判決確定前と解すべく(同旨、小野等刑法ポケツト註釈八五頁、最高裁判所大法廷決定同三三年二月一〇日刑集一二巻二号一三五頁福岡高等裁判所決定同三八年一〇月二三日下刑集五巻九、一〇号八四四頁、―東京地方裁判所決定同三七年七月一六日下刑集四巻七、八号七六四頁。なお同条二号の同文言もこれと同趣旨に解すべきところ、同文言につき名古屋高等裁判所決定同三一年九月一〇日高刑集九巻八号九一九頁も同趣旨と解している。)「他ノ罪ニ付キ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト発覚シタルトキ」とは右猶予の判決確定前他の罪について禁錮以上の実刑が確定し、右猶予の判決確定後に右前科が発覚したときと解すべきである(同旨、前掲書同頁、前掲福岡高等裁判所決定および東京地裁決定)。

つぎに、右発覚の主体については、検察官または裁判所と解すべきところ、その発覚の主体ならびにその時期につき、最高裁判所の判例によれば、即ち、同号の発覚とは所定の処刑の事実が猶予の言渡後に発覚した場合をいうのであつて、猶予の言渡前他の罪につき禁錮以上の実刑前科のあることが右猶予の言渡前、裁判所に顕出せられた資料により、検察官または裁判所に判明していた場合、最早その違法に言渡された猶予の判決の確定後これを取消すことはできないとする(最高裁判所第一小法廷決定同二七年二月七日刑集六巻二号一九七頁、―なお不完全であつてもその前科事実が訴訟資料として顕出され検察官または裁判所に判明し得る状態にあつたにも拘らず、不注意にこれを見逃して猶予の言渡をし、検察官も上訴することなくこれを確定させてしまつた場合最早その裁判確定後発覚したものとは言えないというべきで、同号の如く被告人に重大な不利益をもたらす執行猶予の必要的取消に関する規定は特に厳格に解することが要請されるとするのは高松高等裁判所決定同三六年二月六日高刑集一四巻一号一一頁、なお大阪地方裁判所決定同三七年一一月七日下刑集四巻一一、一二号一一九、八頁も多少事案に異つた点もあるが、結局は右最高裁判所判例の様な考え方をも前提としている様に思われる)。更に判例は猶予の言渡後確定前、猶予の言渡前の実刑前科のある事が検察官に判明していた場合についても、右猶予の判決確定後は、その取消請求権を失い、猶予の取消は許されないとして、同号の発覚とは、検察官において上訴の方法により違法に言渡された執行猶予の判決を是正する途が閉ざされた場合、即ち執行猶予の判決確定によつて進行を始めた猶予の期間中に「猶予ノ言渡前他ノ罪ニ付キ禁錮以上ノ刑ニ処セラレタルコト」が検察官に発覚したとき、検察官において執行猶予取消請求ができるという趣旨に解すべきであるとする(最高裁判所大法廷決定刑集一二巻二号一三五頁)

四、しかしながら右二つの最高裁判所の判例における事案と本件とは、一、二異なつた点があり、このため右判例が本件ににわかに妥当するものと速断し難い面がある。即ち、右二つの判例は第一にいずれも猶予の言渡が第一審でなされ、いずれも第一審で確定し、第二にその猶予の言渡前またはその確定前に猶予の言渡前の実刑前科が検察官または裁判所に判明していたものであり、同法二五条との関係において、本来執行猶予の言渡が許されなかつたのにも拘らず、違法に猶予の言渡がなされている故、検察官としては控訴してこの違法な判決を是正し得たにも拘らずこれを怠り、結局猶予の言渡を確定させてしまつたという事案である。これに対し本件は、第一に前記(一)の罪につき第一審で猶予の言渡後、被請求人ならびに検察官共に控訴し、同三九年二月一八日東京高等裁判所で、各控訴理由なしとして、控訴棄却の判決言渡を受けて確定し、第二に右棄却判決の言渡日の午前零時に確定した前記(二)の実刑前科の執行のため、最高検察庁検察官より東京高等検察庁検察官に執行指揮の嘱託がなされ、前記(一)の控訴棄却の判決確定前即ち上告提起期間中同庁検察官に判明したもので結局右猶予の言渡後確定前に確定した前科が、右猶予の判決確定前に検察官に判明したものであるが、右述のとおり上告提起期間中の判明であつたため、単に右猶予の言渡是正のためにだけ、その刑の量定不当とか法令違反とかの理由があつても、適法な上告申立理由とすることができず、結局検察官は控訴棄却の判決自体に適法な上告理由を見出し難いとしてそのまま確定させてしまつた様である。

そして他に上訴方法としては、上告受理の申立と非常上告があるが前者については最高裁判所にその申立をなし、その職権発動を促し、これを受理してもらうこととなればよいが最高裁判所は右上告受理の申立を必ず受理すべきものと義務付けられていないし、この様な事案においては非常上告も認められるかどうか疑問であり、認められたとしても被告人に不利益な効力を及ぼさない。

してみると、本件では、控訴棄却の判決確定によつて、第一審の右猶予の判決が確定したのであるから、少くとも第一審で猶予の言渡当時同法二五条一項一号にいう「前ニ」、即ち猶予の言渡前(同旨前掲書七五頁)に、禁錮以上の刑に処せられていなかつた者であり、右猶予の判決が前掲同三三年の最高裁判所判例に所謂違法に言渡されたものと言えるかどうか疑問である。

ただ結局前述のとおり上訴方法により猶予の言渡を是正する途が実質的に閉ざされていたものと言えるから、この点で前科の発覚が実質的には猶予の言渡判決確定後のそれと同視し得る場合と言えない事もない(本件記録添付参考判例東京高等裁判所決定同三五年三月一五日。なお、一審の猶予の言渡に対する控訴により控訴審係属中、右猶予言渡後確定した実刑前科が検察官に判明した点では、この事案と本件とは同様であるが、前者が被告人のみの控訴によるものであるのに対し、後者が被告人および検察官双方共による控訴である点で事案が多少異なる。)

五、しかし、猶予の言渡確定前に確定した実刑前科が、猶予の確定前に検察官に発覚したという点を無視して、発覚時点をスライドし、その確定後に発覚したものとして、被請求人に不利益な方向へ同法二六条三号を解釈し、確定した猶予を取消すというのは以下の理由により許さるべきでないと解する。

即ち、第一に憲法は同一犯罪につき二重処罰を禁止しており、刑訴法も再審のばあい被告人に不利益な方向へ刑を変更してはならない等一旦確定した刑は動かさないとするのが建前である。しかし一方、法は改過遷善の可能性を期してなされた猶予の判決が確定した後一定の場合必要的に右猶予を取消すとしているのであるがこれは予め改過遷善を期待し得なかつた者に対し、刑の猶予を与えたばあい、後にこれを取消すこととするもので、判決に内在する法定条件と見られるので、違憲とは言い得ないと解すべきであるが、猶予取消を必要的に規定する同法二六条三号は同条一、二号の如く猶予の判決確定後の別事件による処罰という事による取消と異なり、猶予の判決確定前の実刑前科の発覚という全く偶然的事実的要素を要件として、一旦言渡し確定した猶予の判決を取消し確定判決を事後修正して、被告人に重大な不利益を与える事で違憲論も有力であり、且又、法は一方において被告人に黙否権を保障し正当な上訴権行使をも認めているのに、この様な偶然的事実である発覚という一事によつて簡単に猶予が取消されるのであるから、被告人にとつて重大な不利益であるこの様な取消を、たとえ法律で規定されたものとして許容するとしても、これを規定する要件の一つ一つを解釈するうえにおいて取消される者に対する不利益な方向へのルーズな解釈は許さるべきでないと解すべきである(同旨、鴨良弼判例時報別冊附録、判例評論第一三号二一頁)。

第二に、本来刑の執行猶予の取消ならびにその手続と、有罪無罪の裁判ならびにその手続とは別個のものである。従つて単に後者の裁判ならびにその手続における上訴方法の有無のみが同条三号の発覚の有無ならびにその時点を左右すべきものとも考えられない。前掲同三三年の最高裁判所の判例も取消許容の場合につき、上訴方法言々に続け、猶予の判決確定後即ち猶予期間中に……検察官に発覚した場合としている事から、この猶予期間中の発覚を取消許容の一つの要件としていることが窺われ、この事を過小評価して、上訴方法が閉ざされた場合は猶予判決確定前の実刑前科の発覚を、猶予判決確定後の発覚と見てよいとまでは言つていないのである。

のみならず第三に、前述のとおり本件において一審での猶予の言渡当時前科がなかつた者であるから、その猶予の言渡自体違法とまで言えるかどうか疑問であり、結局前掲同三三年の最高裁判例が言う如く違法に言渡された猶予の言渡を是正する言々の事案に該当するかどうか疑問である。

六、結局同号が猶予判決確定後猶予期間中その確定前の前科の発覚という事を要件としていると解する以上、本件の如く上訴方法による猶予の判決の是正の途が見当らず、且その確定前の実刑前科が猶予の判決確定前検察官に発覚していた場合にも同号に該当せず取消は許されないものと解すべきである(福岡高等裁判所決定同三八年一〇月二三日は下刑集五巻九、一〇号八四四頁)。

なお、同法二号は猶予判決確定前に犯した罪につき猶予期間中実刑に処せられた場合であるから本件はこれに該当しない。

そうだとすると本件請求はその理由がなく失当というべきであるから、これを棄却するのが相当である。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判官 相良甲子彦)

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